思えば、子供の頃から親友だと思っていた奴に裏切られたり。若い頃、妻に浮気がばれた時も信用しきっていた奴にばらされたり。そいつ達はよかれと思ってしたのか、それとも悪意があってしたものなのか?今だに真相は分からないが、僕にとっては大きなお世話だった事には間違い無い。戦国の世から明治維新。映画から小説まで謀反や裏切りの定番は身内である。その最たる物がキーファーサザーランド主演のアメリカドラマ「24」なんて、身内の誰が裏切り者かを想像するだけのゲームの様な内容だ。「事実は小説より奇なり」とは、昔の人は上手に言うものだとつくづく思う。そんな事が知らぬ間に僕の潜在意識の中に植え付いているのか。僕自身の本音は誰にも話したことが無い。なにか大きな鎧を纏って生きている自分に今更ながら気が付いた。
僕は基本的に争いごとは、苦手で「君子危うきに近寄らず」の精神で今まで生きて来た。人間関係の距離の取り方も自分では上手な方だと思うし。だから、この会社に入社してからも焦らず堅実に仕事をこなして来たからこそ役員にもなれたと思っている。大きなものは要らないから平凡な生活が確保出来ればいいと今でもそう思っている。そんな僕に何故、同僚の素行調査なんて役目が廻って来たのか。しかし、考えれば世の中そんなに順調なまま終われることなど、少々あつかましいのかも知れない。汚れ役も誰かがやらねばならないのなら、僕もそんな経験をしなければならない頃なんだろう。「世渡り上手のバチあたり」って、どこかで聞いたことが頭の中を過った。